パチンコ 研修 内容

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サラン=レ=バンには強力な部隊がおり、先の敗残兵はこの強大な守備隊に収容されます

 サラン=レ=バンはル川支流のフュリーズ川が作る深い渓谷の中にあり、その西に聳えるサン=タンドレ山に同名の堡塁を備え、東側のブラン山にもブラン砦があるという難攻の街でした

サン=タンドレ堡塁、ブラン砦共々絶妙な位置にあり、サラン=レ=バンを通る街道はその南のブラコンで東と南に別れますが、ブラン砦はこの分岐点付近からも至近(直線で800m)で、西へ向かう北と南二つの街道(現・国道D105とD94号線)もサン=タンドレ堡塁から2キロ以内で完全に俯瞰されました

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この通りサラン=レ=バンを攻略するには本格的な攻城部隊が必要で、多数の要塞砲も必要となってしまいます

当時サン=タンドレ堡塁とブラン砦には要塞砲と守備隊がおり、街自体にも2,000名の独立守備隊がいました

 第2軍団の3個旅団はこの日、ムシャール~ヴィレ=ファルレ間に集合し密接して宿営しました

サン=タンドレ堡塁(サラン) 第7軍団もこの日命令に沿って斥侯隊を多数派遣し、第13師団では偵察隊が右翼側ル川に向かって前進し、同じくブザンソン方向にも偵察隊が派遣されます

このブザンソンに向かった2個中隊はヴォルジュ=レ=パン(ブザンソンの南西11.5キロ)で仏軍部隊と遭遇して戦闘となりました

この仏軍は歩兵3、4大隊と強力で砲も数門備えて独偵察隊に対し激しい銃砲撃を加えました

 この戦闘はかなり激しいものとなり、圧倒されつつあった独偵察隊は救援に現れた諸隊*に収容され、独軍はここで暫く銃撃戦を続けた後にカンジェーへ撤退します

この戦闘では独軍に戦死17名・負傷52名・行方不明(捕虜)3名の無視出来ない損害が生じ、フュージリア第73連隊の中隊長男爵アドルフ・フォン・ビューロウ大尉が戦死しています

※ヴォルジュ=レ=パンの戦闘に参戦した諸隊*ブザンソン方面の偵察隊○フュージリア第73「ハノーファー」連隊・第10,11中隊*救援に進んだ諸隊○第13「ヴェストファーレン第1」連隊・第2大隊○フュージリア第73連隊・第5,9,12中隊○猟兵第7「ヴェストファーレン」大隊・第3,4中隊 第14師団の一士官斥侯はこの日、単騎ドゥー川右岸を前進してブザンソンからおよそ6キロの地点(アヴァンヌ付近と思われます)まで至りますが、ここまで目立つ仏軍部隊は見られず数人の「迷える兵士」を捕らえて引き上げます

ところがこの捕虜の尋問で仏軍の陣容がはっきりし、仏軍は第15、18、24の各軍団が依然としてブザンソン周辺に宿野営し、第20軍団だけが遥か南方に向かって後退して行ったことが分かったのでした(これは間違いで、南方へ独り離れていたのは既述通り第24軍団です)

 この日の夕刻

独りオニヨン川沿岸のパンに居残っていたボナベンテュラ・フランツ・ハインリヒ・ゴスヴィン・フォン・ブレーデロウ少佐から報告があり、それによれば、「オニヨン河畔に見られた仏軍陣地から仏将兵が消え、一昨夜まで多く見られた野営の焚火も昨夜は全く見られなかった」とのことだったのです

「忘れ去られた英雄」(銃殺されるスパイや義勇兵)ブティニ画

☆ 1月24日・ボーム=レ=ダムの占領 フォン・マントイフェル騎兵大将率いる独南軍本隊である第2、第7両軍団がブザンソンの西と南西を抑えた24日

 フォン・ヴェルダー歩兵大将率いる第14軍団は、前日ロベルト・カール・フリードリヒ・ヴァラート大佐率いる混成支隊が狙い、その北郊外のオートショーで激戦を繰り広げたボーム=レ=ダムへの総攻撃を計画していました

 この作戦のため、同日午前10時までに男爵アレクサンダー・エデュアルド・クーノ・フォン・デア・ゴルツ少将率いる独立混成兵団はヴェルヌ(ボーム=レ=ダムの北5.2キロ)に、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュメリング少将率いる予備第4師団はヴォイヤン(同北東5.5キロ)に、それぞれ前進するよう命じられます