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復讐心に燃える敗れた相手の仏は当然ですが、露が速やかに改革を開始したのは「次はウチ」という実に直接的な理由がありました

それは中欧に突如現れた「新ローマ帝国」が「コチラ」を振り返る(次の相手=仮想敵国)と言う判断で、当時の露帝国の軍部と政治家が皇帝の血筋や閨閥に惑わされず、地理や政治バランスから正確な情勢判断をした結果とも言えるでしょう

 元々普王国と親しい関係にあったオスマン=トルコ帝国やルーマニア王国そしてギリシャ王国も優秀な士官を普参謀本部へ派遣し、その「極意」を獲ようとしました

特にトルコはモルトケの時とは全く違う熱心さで参謀士官を軍事顧問として派遣するよう要請して来ます

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しかし、イギリスとアメリカは独軍の動きを油断なく注視していたものの、自軍を独式に変えることまでは行いませんでした(英が独式の参謀本部制を採用するのは20世紀に入ってからです)

 ヨーロッパばかりでなく独軍が世界最強の「グランダルメ(大陸軍)」を完膚なきまでに叩いたことを知った発展途上の各国も独軍式に軍を育成する方針に変更し、南米のアルゼンチン、チリ、ボリビアは普軍式に軍制を改めます

「世界デビュー」したばかりの日本も仏軍式から普軍式に軍の教育方針を改め、トルコ同様独に軍事顧問の派遣を要請し、ヤコブ・フォン・メッケル少佐がやって来ることとなった話は他所で深堀り願い、ここでは省略します

これは欧米列強からの浸食が開始され没落が始まっていた清国も同様で日本に続きました

 しかし一時軍を中心に憧憬の眼差しで独を見つめていた日本に対して独帝国の態度は素気なく、やがて日本より清を応援し、日清戦争後には三国干渉を行うなどはっきりと敵対したため「日独同盟」なるものが現れるまで半世紀ほど冷たい関係になって行きます

しかし可能性は低かったものの、もし若い皇帝が日本を冷遇せず日英同盟ではなく日独同盟が19世紀末に結ばれていたとしたら、歴史はまたとんでもない方向(日露戦争や第一次大戦にも影響)になっていたことでしょう

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 ヨーロッパでは軍を独軍式に改編するか否かは別として、19世紀末に向かって一斉に急激な軍拡が始まります

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それは独に接する各国に顕著で、前述通り内心復讐に燃える仏や新興帝国に厳しい眼を向ける露の「東西両面からの脅威」は戦勝の熱気が醒め始める前、未だ占領軍が仏領に駐屯していた頃から独参謀士官たちの頭に棲み付いていました

モルトケもこの恐れを十分に感じており、事ある毎に仏と露に対して近い将来「予防戦争」を仕掛けるべきという考えを示し、早くも独仏講和前の71年4月、「戦争に勝ったとはいえこの先は見通せず、独の状況は決して安穏とはしていられない状態にある」として仏露との二正面作戦を論じ「短期に一方を叩いて無力化させ、引き続きもう一方と対決する作戦を練らなくてはならない」と語っているのです

本部参謀総長執務室のモルトケ(1876年) しかしこれは独帝国もう一方の雄・「政治のビスマルク」によって完全に拒否されてしまいました

彼は彼で、国力を減衰させる戦争など行わなくとも、しばらくの間は独帝国が大事に至らぬよう策を弄していたのでした

 帝国の成立によって更に強大な権力を得たビスマルクはこの70年代、自由主義勢力に接近して社会主義勢力を分断させたり、文化闘争という名で知られるカトリック勢力の弾圧政策を取ったり、自由主義勢力が是々非々の対応を改めないとなると再び右傾化したり、皇帝暗殺未遂(1878年5月と6月)を契機に社会主義勢力に対して更に弾圧を加えたりと、帝政(というより君主制)を保持するため波乱の内政舵取りを行いますが、外交でも文化闘争によるカトリック諸国の反発を抑えるために立ち回ったり、復興急な仏を警戒してそれぞれの立場(社会情勢の変化による君主主義の危機)を利用し決して仲の良くない墺露に接近、三帝同盟を画策したり(73年)します

墺は支配階層が独人とはいえ大・小ドイツ主義で30年間に渡って普王国と覇権を争った関係で未だ戦争の記憶も生々しく、経済でも完全に独帝国の後塵を拝することとなってしまったためにいつ敵対するか分からない状態でしたが、ビスマルクが秋波を送り続けたことで時流を読んで慎重に歩み寄りました