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 普国王ヴィルヘルム1世は1月7日、第一軍司令官男爵エドウィン・カール・ロテェス・フォン・マントイフェル騎兵大将に異動辞令を発し、第8軍団長アウグスト・カール・フリードリヒ・クリスチャン・フォン・ゲーベン歩兵大将を同軍司令官に昇任させる勅令を下します(後日詳述します)

 第一軍本営ではオスカー・エルンスト・カール・フォン・スペルリング少将が参謀長に留まりますが、参謀副長だった伯爵ヘルマン・ルートヴィヒ・フォン・ヴァルテンスレーベン大佐はマントイフェル将軍の新しい本営参謀長となって一緒にアミアンを去りました

ヴァルテンスレーベン大佐の後任は第8軍団本営の筆頭参謀だったブンケ少佐が担います

 北仏戦線の総責任者となったフォン・ゲーベン将軍は9日、今後の方針として「ソンム川の後方(左岸)に退き防御に徹する」ことを主目的とし、「こちらからは仕掛けず仏軍が南下する場合のみ対戦する」ことを決しました

既にソンム流域の重要な渡河点は全て独軍が制しており、そもそも第一軍に課せられた主任務は仏北部軍の「壊滅」や仏白国境地帯までの「制圧・占領」ではなく「パリ包囲網を脅かす敵を北部に留めておく」ことだったからです

 このため、渡河点付近の橋頭堡や重要拠点には目立つ監視部隊を置くものの、これら最前線に立つ諸隊に対しては「本格的戦闘に陥らぬよう」釘が刺されたのでした

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 ゲーベン将軍 この方針により11日、戦線突出部となっていたバポームに駐屯する騎兵第3師団がアルベールに向けて後退行軍を始めます

因みにこの師団はペロンヌが陥落した9日から10日に掛けて第19「ポーゼン第2」連隊の2個(第2、F)大隊を本隊へ返し、フュージリア第33「オストプロイセン」連隊の第2大隊を交代に受け入れていました

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 しかし、フェデルブ将軍はこの時既にペロンヌを救うための行動を再開しており、早くも仏デロジャ師団(仏第22軍団第1)が独軍退去直後のバポームに侵入し始め、その郊外に残っていた独騎兵の後衛(槍騎兵第5連隊の一部)はこの仏軍によって攻撃を受けたのです(独軍は死傷者2名と捕虜11名を出しています)

バポーム郊外で仏デロジャ師団に属した竜騎兵に襲われる独後衛 バポームに敵が入城したことを知った独騎兵第3師団長の伯爵ゲオルク・ラインハルト・フォン・デア・グレーベン=ノイデルヘン中将は、騎兵1個連隊をル・サール(バポームの南西6キロ)に留めて仏軍の南下に備え、本隊は急ぎアルベールの北方でアンクル川を渡りメニル(=マルタンサール

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アルベールの北5.8キロ)を中心として川の両側に防衛線を展開しました

 しかしこの11日、デロジャ師団はバポームに留まり、同じくデロジャ師団の左翼を急進して来たベッソル師団(仏第22軍団第2)はブッコワ(アルベールの北北東15.8キロ)で停止するのです

またその後方に続いていた仏第23軍団も先行する両師団(仏第22軍団)に同調し停止・宿営に入りました

 この仏軍の「急停止」はペロンヌ陥落の報がフェデルブ将軍に伝わり、将軍が今後を考えるため停止させたものと伝わります

 遡ること1月10日

仏軍が再び動き出すことが決定的となったことを斥候報告などから知ったゲーベン将軍は、アミアンから第1軍団の歩兵3個大隊と砲兵1個中隊をダウール及びコルビ(それぞれアミアンの東11キロと15.6キロ)付近のソンム架橋警備に派出しました

続いて11日にもアミアンより歩兵2個大隊・砲兵1個中隊をアリュ河畔のケリュー(同北東10.8キロ)及びその周辺へ派遣しました